「言えば損する」

 いつも見ている「NNNドキュメント04」今日は尼崎のJR西日本電車脱線事故の報道でした。その中でいちばん印象に残ったことばがこれ「言えば損する」です。脱線事故現場となったカーブが危険だということは運転士ならみんなわかっていた。しかし、声をあげる者はなかった。意見をすれば配置転換や格下げになるのがわかっていた。言えば自分が損する体制があったからだ、というのです。少なからずショックをうけました。わたくしたちのまわりにもこれと似たことがあまりにも多いのではないかと考えたからです。多数派意見に少数派意見がのみこまれてしまうとか、ものがいいたいのにどうしても言えない雰囲気の場所は多すぎるのかもしれません。「民主主義」という名前のもとに自由が抑圧されているのがいまの社会なのでしょうか。民主主義はもちろん必要な考え方ですが、それにしても今回のテーマはとても重い内容でした。どうしても多数についてしまい、たて社会といわれる日本のよくない面がもたらした事件であったのかもしれません。もっといい意味での個人主義が認められるようになれば、お互いの立場を考えながら自由にものがいえる雰囲気が家庭を始めとして社会全体に広がるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。わたしは束縛されるのがいやだし、いわゆる管理体制はどうしてもなじめないですが、そうした管理体制や抑圧はもしかしたら家庭の中にさえあるかもしれません。「家庭は社会の最小単位」といわれるからです。最小単位が病んでいれば社会全体がおかしくなるのかもしれない。だからこそ自由とは何なのかを真剣に考えたいです。家庭のなかで自由にものがいえないのはわたしも同じだからですが、真の意味での民主主義、自由が日本にもあっていいのではないでしょうか。

旅先から(続き)

 旅行中のかたからまた連絡がありました。今回はPCからBBSに宛てて書かれたものです。うれしいのですがわたしが旅に出ていたらどうするかなあ。ひとりになりたいと思うかもしれませんから誰にも連絡はしないかもしれません。旅先から連絡があるということは誰かとつながっていたいと考えるからでしょうか。確かに絵葉書を受け取ったらうれしいですが、大事なことは「絵葉書をもらったらうれしいだろうなあ」と相手の身になって考えることではないかと思いました。そうした考えがあったからこそ、わたしに宛てて今日BBSに書き込みがされたのだと思いたいです。友よ、どうかいい旅を。

こころをつなぐもの

 MIXI登録をしてくださったかたが2桁の数になりました。いろいろな共通点があってつながりができたかたが多いですが、頻繁にやりとりをするかたとはお互いのよさ、長所を認め合ってきているような気がします。もちろん実際に会ってお話をしたわけではないですが、相互理解、尊重は気持ちをつなぐ上での始まりの一歩になるのではないか、という気がします。今日も参加して下さったかたがひとりいらっしゃいますが、どうか頻繁に連絡しあう関係になりたいと思いますし、そうなるのだと信じます。こころをつなぐものは見えないけれど、尊重や理解の気持ちは必ず伝わるのだと思いたいです。

旅先から

 旅行中のかたからメールが届きました。携帯電話からの送信ですから長いものではありません。ただ、今回は短いぶん、いつもよりも気持ちが込められているような気持ちになりました。旅にでているときくらいは日常を忘れて誰とも会いたくないとか、誰からも連絡を受けたくないとかいう気持ちになることもあるかもしれません。そうしたいわば非日常の時間である旅行の最中であってもわたくしにメール送信をしたいとそのかたが思ったのはどうしてなのだろう。だれかとつながっていたいとか、わかってもらいたい、という気持ちがあったのかもしれませんが、旅先にあってまでもメールをくれたその思いを大事に理解したいと思います。友よ、どうかいい旅を。

向上心の大切さ

 友人のイラン人に東北大学法学部大学院から入学を許可する旨の通知がありました。これまでわたしもいろいろとお手伝いをしてきましたがほんとうにうれしいです。彼女は本国で国際政治学を修め修士課程を修了していますが、遠い日本にあっても勉強したいという気持ちを忘れないのですから、すごい。もともと本を読んだり机に向かうのがすきな友人ですが、異国である日本にあってまで向上心を大事にする姿勢には大変な刺激を受けました。これはひとことで言ってしまえばポジティブ志向ですが、向上心、ポジティブ志向がどんなに大切で、どんな場合にも忘れてはならない態度かを改めて異国の友人に教えられた気がしました。それとともにわたし自身がポジティブ思考の考えをもつようになったことは間違っていなかったのだとわかり、また気を強くしましたし、やる気が出てきました。友人を蔭ながらこころから応援したい。そして、ご主人と3人でこれまで以上に仲良く、切磋琢磨できる関係が築ければ、と願っています。

友人のひとこと

 友人と一緒に楽器店にでかけました。「前から買おうと思っていた」といって手にしたのが電子トランペット。「買おうかなあ」と、まだ迷っている様子でしたので「たまにはたのしいことがあってもいいでしょう」と後押しをしました。結局迷いながらも買ったのですが、とてもうれしそう。見ているわたくしまでうれしくなりましたが、そのあとで友人がいったひとことに気持ちを動かされました。「最近わくわくすることがなかったんです。たまにはこんなことがなければいけませんね」と。船井総研会長の船井幸雄さんはその著書「幸運と成功の法則」のなかでわくわく生きることは幸運を招く生き方であると述べていますが、そのためにまず大事なのはすきになることなのだそうです。すきになればたのしくなり、やる気が出るからだというのです。
 わくわくする気持ち、振り返ってみるとわたくしもこのごろは忘れていたと反省しましたが、いい人生、たのしい毎日を送るために大事なこころがまえを思い出させてくれた友人に感謝したいと思います。

「くらし折りふし」-文字が伝えるもの

 童話作家立原えりかさんが河北新報に連載していたコラム「くらし折りふし」。そのなかの「お祝いとお礼のはがき」には「何年か前までは少しでも早くありがとうやおめでとうをいいたいときは電話、おわびをするときも電話だった。すみれの花束をいただいたことがあったが、そのとき、私は旅行中だった。帰宅したときはすっかり枯れてしまった花束と『お目にかかれず残念ですが、代わりに春の花を置いていきます』と書かれたメモだけが残されていたのだった。すぐに電話したが送り主はどうしてもつかまらず、そのうちにすみれが来た日から10日もたってしまった」という文のあとに「それからはお礼やお祝いははがきですることにした。少しは時間がかかるが、思いは必ず伝わるし気持ちを伝えた安心感ももてる。一生のうち、何回くらいありがとうやおめでとうやごめんなさいを言うことになり、言われることになるのだろうか。ごめんなさいはいらないが、ありがとうやおめでとうの手紙、はがき、カードは全部とっておきたい。数えたら長い人生を辿りながら何回幸せな気持ちになれたのかきっとわかるからだ」というところがあります。文字が気持ちを伝えることはあまり意識しないのかもしれないですが、そうではないのです。はがきを書くのは自分の気持ち、考えを整理して静かに考えたいから。自分の身をふりかえっても、このごろは文字を書くことがほとんどなくなってしまったようにも思いますが、お祝いやありがとうの文字にはお祝いやありがとうの気持ちがこもるのだと思います。デジタル全盛の時代だから、手書きの文字とか、文字が伝える気持ちとか、ありがとうの思いとか、そうしたものの意義、価値あるいは大切さについて考えてみなければならないのではないでしょうか。

続きの続き、みたいなもの-「自分に忠実であること」

 「自分に忠実であること」書くのはやさしいのですが、これをいざやってみようとするとほんとうに難しい。でも、難しいから価値があるのだと思うのです。この「自分にすなおな生き方」をしたひとをひとり挙げよ、といわれたらためらわずに沢村貞子さんをあげますが、「老いの道連れ」のなかには次のような要旨の箇所があります。

 「地方で仕事がある、いい仕事がある、と言われてもわたしは決して東京を離れることはなかった、それは夫である大橋恭彦の近くにいたい、ご飯を作ってあげて一緒に食べたいのだ、という思いがあったからだ」

 この本は「ありがとう、あなた」という短いひとことで終わっています。沢村さんは夫の死後2年が過ぎた1996年8月、87歳で波乱の生涯を静かに閉じますが、「一緒にいてご飯を食べたい、ともにいたい」というそれだけのために東京を離れなかった、という気持ちはなんとすがすがしいことでしょうか。初めて読んだのがいつかは忘れましたが、いまでもそのときの清冽な感動がよみがえってくる本は多くありません。この本はそうした本当に数少ない、大切な1冊です。
 現在、わたしたちは自分にすなおで、自分の気持ちに忠実に生きているのだろうか。沢村さんの芯の通った生き方、パートナーに対する思い、そして大橋さんはとてもプライドが高かったので、沢村さんに礼をすることはなかったというのですが、死後見つかった日記の最初には「ありがとう」と書いてあったことなど-静かに考えてみたいと思います。

続き、みたいなもの-「自分に忠実であること」

 「無理をしないほうが愛される」と書いたのですが、今日は偶然にもその続きみたいな文を読みました。「自分自身に忠実であれば疲れることはない」というのです。毎日の生活だけをとってみても、ほんとうは考えてもいないのにまわりに合わせてしまったり、世間の目を気にしたり、という場合がいかに多いことか。自分にすなおになる、ということは社会生活を送っている以上は難しいことなのかもしれませんが、自分を大事にすることだと思いますし、自分を大事にすればまわりのひとも自分と同じように尊重し、理解しようとする考えがうまれてくるのではないかと思います。「自分に忠実であること」はいい意味での個性の主張、個人主義の現実化だと思いますが、日本ではまだ難しいのかなあ。ややもすると多数に流され、集団でいると落ち着く日本人にとっては、「自分に忠実であること」はどんな意味をもつのか考えてみたいと思います。

「無理をしないほうが愛される」

 そうなのだ、わたしはわたしのままでいいんだ、すなおでいればいいんだ、と気づかせてくれた本です。筆者は次のように書いています。

 「無理をしないほうが愛される。これは自分の弱点を必死になって隠し、虚勢を張って生きてきた私が今しみじみと感じていることである。無理をしてしか愛されないような人は愛されないほうが幸せである。愛されようと無理をしているうちにもともと備わっている自分の価値に気がつかなくなってしまう。人間というのは無理をしないで素直な気持ちでいるとその人が気づいていない魅力が自然とあらわれるものである」

 わたしはこれまで弱点をことさらに伏せたことはないと思いますが、自分にすなおであるというのはとりもなおさず自分を大事にして育てることなのだと考えます。自分を大事にして、自分がすきになれるひとならまわりのひとも大切にしてやさしい気持ちで接することができるでしょうし、それは人生を豊かにしておだやかでたのしい生活を送る基本的なこころがまえにもなるのではないでしょうか。他人の目を気にしたり、「どのように見られているか」と必要以上に考えてしまうことは誰にもあると思いますけれど、まずすなおな気持ちをもつこと。それが「かたよらない、とらわれない、こだわらない」ひろいこころをもつためのはじめの一歩になるのではないか、と思います。
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